源治山遺跡(山城町)

「山城」という地名は、天明4年(1784)に刊行された『勢陽五鈴遺響』に「也摩自耶宇ト訓スヘシ、正税四百五十三石桑名領ナリ、見永氏城址アルカ故ニ此名アリ」と記されている(見永氏は見永藤七郎秀宗のことである)。

城は源治山(俗称キントキ山)にあり、城跡には、昭和7年(1932)10月、地元の人々の熱意により石碑が建てられている。

この源治山の東側山腹から山裾にかけての辺りから、かつて古墳時代(3世紀末~7世紀末、前方後円墳など大規模な古墳およびその影響のもと出現した小古墳の築造が盛行した時代)のものと推定される土器が工事中に発見されたと伝えられている。

しかし、現在、その土器の所有者もわからず、発掘調査も行われたことがないので、詳しいことは不明である。


源治山東側山裾

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