藤井昇善碑(北山町)経塚公園内

寺子屋は江戸時代における庶民の子弟の教育機関である。学科の主なものは、いろは文字・人名・国づくし・郡名所記などの習字や読書、珠算などであり、特に文政期以降(1818~ )、社会・経済の発展に伴なう教育的要求の高まりから、全国的に普及した。

文久3年(1863)に北山村の僧侶、藤井昇善は安乗寺の境内に寺子屋を開き、明治8年(1875)までの12年間にわたり子弟の教育にあたった。

この寺子屋は安乗寺の山門を入った東側にあって、70~80名の子弟が読み、書きを習ったという。

明治5年(1872)、明治政府によって実施された学制により寺子屋は解消され、明治9年(1876)には安乗寺を仮校舎とした(無名)学校が開設され、また、同13年(1880)には開明学校と合併して「下野学校」が生まれた。

明治37年(1904) 3月、門人たちが師の徳を讃えて、裏に「翁ハ 安乗寺 第十五世住職ノ弟ニシテ 衆人ヲ教育セシ功労ニヨリ 門人中 之ヲ建立ス」と刻んだ顕彰碑を、経塚公園に建てた。

藤井昇善碑

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