下田亨三碑(北山町)経塚公園内

初代の下野村の村長に就任して以来37年の間、村長として村政のために尽くした下田亨三の彰徳碑は、生前(大正14年(1925))に村が経塚公園内に建てたものである。

下田亨三は嘉永2年(1849)、員弁郡長深村に生まれ、のちに北山村下田家の養子として家を継いだ。

明治22年(1889)市町村制が実施されたときに推されて村長となり、その間に郡会議員・県会議員・県会副議長、さらに県町村会会長・全国町村会常任理事などを歴任し、義務教育費の国庫負担の実施をはじめ、各方面に力を尽くした。

下野村内のことでは、下野村耕地整理組合を設立し、大正9年(1920)から昭和4年(1929)の9年間をかけて、村内の水田の全域約212町歩の整理を行ない、また、学校教育振興のために、山城町字高見山の所有地3町歩を学校林として寄付をするなど、教育に対しても心を砕いた。

この学校林はゴルフ場建設の時買収され、その代金が下田奨学資金として学校教育資金として役立っていた。

昭和3年(1928) 3月4日永眠。享年80歳。6日に下野小学校校庭で村葬が営まれた。


下田亨三碑

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