一目連(いちもくれん)神社跡(西大鐘町)

『日本書記』は、大物主神の帰順(国譲り神話)に際して、天目一箇神を「作金者ト為シ」と記している。

一目連神社は、天目一箇神を祭神とする。金属工業の神として事業の繁栄を、さらに、風や雨を支配することから農業・水産の神、雨乞いの神として民間の信仰は篤い。

西大鐘の一目連神社は、文政9年(1826)10月に、庄屋の門脇氏が洪水や干害の数多く発生したこの地の五穀の豊穣を祈願して多度大社から勧請した。

また、古代に伊勢国の金作部が置かれていた「大金郷」に属し、「金打」という地名の残るこの地に有縁
を求めたものとも思われる。

明治23年(1890)の『社寺所有地調』によれば、当時、2反4畝24歩の社地の中に4尺5寸四方の神殿と、正面2間3尺5寸奥行9尺5寸の拝殿があった。

祭神は、大正2年(1913)山の神と共に太神社に合祀され、同5年(1916)太神社と共に石部神社に合祀された。

しかし10月10日の祭日には、氏子は太平洋戦争末期に至るまで、時には青年団の手製の箱灯籠を区内隈なく灯し、また各組毎に縦長の「一目連神社」の幟を立てて、神社の名残を止めていた。

同祭神は、昭和22年(1947) 5月1日太神社が分祀された後も、石部神社に合祀され
ている。


一目連神社跡図面


一目連神社祭日の幟

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