今から2200年ほど以前に大陸から稲作技術が入ってきて、水田が開かれるようになった。 この頃を弥生時代といい、農耕文化の生活が始まった。 東山遺跡は、三岐鉄道山城駅の東南の丘で、山城町字東山にある。昭和19年(1944)頃ここに家を建てた人が一つの「つぼ」を掘り出した。 これが弥生時代の土器であったので、このあたりに約...
新着記事
「山城」という地名は、天明4年(1784)に刊行された『勢陽五鈴遺響』に「也摩自耶宇ト訓スヘシ、正税四百五十三石桑名領ナリ、見永氏城址アルカ故ニ此名アリ」と記されている(見永氏は見永藤七郎秀宗のことである)。 城は源治山(俗称キントキ山)にあり、城跡には、昭和7年(1932)10月、地元の人々の熱意により石碑が建てられ...
古屋敷は、その昔山城城の武士や善如寺の僧の住居跡と伝えられ、源治山から東山へかけての一帯で、いまも古井戸が数多くある。 善如寺は、現下埜山信明寺(しものざんしんみょうじ)の前身で、寺史によれば、江見名氏が山城に居城を築く約200年前の天永元年(1110)に僧浄山が天台宗の寺院を開山し、現信明寺の南に広大な寺域を有してい...
山城城址は、朝明町右岸、標高50mの源治山にある。 城址に立つ石碑の裏面に刻まれている雪堂学人の次の撰文から、往時が偲ばれる。 「(前略)此地ハ建武(1334~1336)ノ昔 江見名藤七郎秀宗ノ居城ナリ 秀宗 足利尊氏ニ仕エテ数々戦攻(功)アリ 依テ此地ヲ賜フ 代々茲ニ居城スト云ウ 永禄一一年(1568)一月織田信長ノ...
四日市市下野地区について 下野地区は四日市市の北西部に位置し、北は東員町、桑名市に隣接しています。 西には朝明川の源を発する釈迦ヶ岳や御在所岳、竜ヶ岳を擁する鈴鹿山脈を望み、緑豊かな丘陵とひろびろと広がる田園の中央には、朝明川が流れ、大きく分けてその北部にあるまち(北山町、西大鐘町、大鐘町、朝明町)と川の南部にあるまち...
創立年代はあきらかでない。現在の祭神は、天照大御神、天兒屋根命、応神天皇、保食神、素戔鳴命、大、天目一箇命である。 古来、中里(朝明町)・北山・山城3村の産土神として奉祀され、春日明神と称されていた由来から、もとは天照大御神と天兒屋根命が祀られ、それに境内社の八幡社、稲荷社を合祀(年代不詳)して応神天皇と保食神が祭神に...
主祭神の神八井耳命は、神武天皇の第二皇子太朝臣(多朝臣)の氏祖であり、社名の起源と推測されています。 また別名「諏訪大明神」と称されていて、近郷近在の参詣者で賑わったことが伝えられています。 太神社マップ...
祭神は、天照大御神・木花咲耶姫命・大山祗命を祀る。 山城町字南屋敷(「ぬのつち山」、「頂根突山」ともいう。)に鎮座し、古くには近在の人々が富士権現と呼んで崇めていたが、明治の初めに櫻(桜)神社に改称された。 名称変更の理由や神社の由緒などは詳らかでない。 山の姿があたかも富士山に似ており、祭神の木花咲耶姫命は富士山本宮...
新年、明けましておめでとうございます。 今年も頑張って、札場町の情報を発信していきたいと思います。 本年もよろしくお願いします。 1月11日(土)、令和2年初めての役員会を開催しました。 大きな行事も終わり、後は新年度に向けて、新役員の選出が始まります。 今回の役員会では、新年度の委員・特別委員の選出について、話...
・開催日時:2020年1月10日 9:00~ ・場所 :下野地区市民センター1F会議室 議題Ⅰ.写真(上)は、諧朋苑下野在宅介護支援センターの職員と下野民児協との情報交換会の様子 【ひとり暮らし及び認知症等の高齢者の現況と今後の対応を協議する ☚守秘義務あり】 議題Ⅱ.行政(こども保健福祉課)との勉強会 (1) 行...
四日市市下野地区について
下野地区は四日市市の北西部に位置し、北は東員町、桑名市に隣接しています。
下野地区は大きく分けてその北部にあるまち(北山町、西大鐘町、大鐘町、朝明町)と川の南部にあるまち(山城町、札場町)、その中に立地している住宅団地(あさけが丘団地、八千代団地)があります。
下野地区は大きく分けてその北部にあるまち(北山町、西大鐘町、大鐘町、朝明町)と川の南部にあるまち(山城町、札場町)、その中に立地している住宅団地(あさけが丘団地、八千代団地)があります。