山城城址(山城町)

山城城址は、朝明町右岸、標高50mの源治山にある。

城址に立つ石碑の裏面に刻まれている雪堂学人の次の撰文から、往時が偲ばれる。

「(前略)此地ハ建武(1334~1336)ノ昔 江見名藤七郎秀宗ノ居城ナリ 秀宗 足利尊氏ニ仕エテ数々戦攻(功)アリ 依テ此地ヲ賜フ 代々茲ニ居城スト云ウ 永禄一一年(1568)一月織田信長ノ為ニ亡ボサル 爾来数百年人事夢ノ如ク興亡常ナシ 然ルニ昭和五年(1930)三岐鉄道ノ開通スルヤ 野呂氏城跡ノ荒廃ニ委スニ忍ビズ遺跡保存ノ儀ヲ三重県知事ニ申請セリ 昭和七年(1932)九月三重県知事ヨリ若干ノ補助金ヲ
下付セラル 同年一〇月有志ノ賛助ヲ得テ此地ニ建テ(後略)昭和七年一〇月」

昭和6年(1931)三岐鉄道建設により、城址の中心部は分断され、現在土塁・堀・郭の一部を残すのみである。

分断された東の郭は、北側に東西方向に堀底幅3~4m、深さ7mほどの空堀を築き、その南に土塁をめぐらしている。

西の郭は、城址の立地する台地の南に入り込んだ大きな谷に向かって南東方向に開く小さな谷を利用して空堀を築いている。

空堀の北には、上幅約2m、高さ約1.5mの土塁で区画された2つの郭が残っている。

石碑「山城城址」- 2

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