「半学舎」とは、「教えることの半分は、自ら学ぶことである」という大賀賢励(1819~1906)の教育者としての信念に基づき、明治10年(1877)に官許を得て、東大鐘村(大鐘町)浄圓(円)寺境内に開設された私塾である。 賢励は、弘化3年(1846)から漢学を中心に郷里の子弟の教育にあたっていたが、その学識・思想・人徳を...
下野地区の名所
下野地区の名所の記事一覧
広古墳群は、この地方では、他に見られない方墳を主とする特異なもので、歴史上極めて重要であるといわれている。 しかしながら、これまでに発掘調査が行われたことがなく、埋葬者、築造年代などは明らかではない。 広古墳群は、A支群とB支群とがある。A支群は、この地域ではもっとも南に張り出した台地先端頂部の標高約38m、平地との比...
「鐘撞」という字名は、延喜式内社太神社の別当寺であった天台宗西徳寺の鐘撞堂が建っていたことに由来すると伝えられている。 また一説には、その釣鐘が非常に大きかったため「大鐘」という地名になったともいわれている。 字鐘撞の地で耕作を営む農家では、ずいぶん前から、たびたび古い陶器片を見かけていたようである。 昭和59年(19...
大鏡山西徳寺は、平安時代初期(9~10世紀)に建立され、東大鐘村(大鐘町)から西大鐘村(西大鐘町)にかけて、七堂伽藍を擁していた天台宗の大刹(大きなお寺)で、太神社の別当寺(神仏習合思想に基づき神社とともに置かれた寺)であったと伝えられている。 延喜式内社の太神社とともに西徳寺があったということは、当時この地は北勢地方...
大鐘町字大坪の田地に大きい石碑があり、近寄ると東向に「延喜式内太神社舊蹟」と太く深く力強く刻み込まれている。 この場所は碑の裏側に「太神社ハ内務大臣ノ主旨ヲ基二大正五年(1916)一月二十七日三重縣知事ノ許可ヲ得テ同年二月二十五日石部神社エ合併ス」とあるように、かつて太神社が鎮座していた社地である。 太神社の祭神は綏靖...
朝明川中流左岸の段丘下位面で、西大鐘の集落を含む東側一帯に広がる。標高25~27mほどで、水田・畑地・宅地・墓地となっている。 北側台地斜面には北ノ山古窯跡がある。 遺物は東西350m、南北200mほどに広がり密度は高い。中野山・北山A~C・鐘撞遺跡と共に、『和名類聚 抄』に記載されている朝明郡大金郷を構成する集落の1...
江戸時代、村の政治は代官の指揮で庄屋が行っていた。庄屋の補佐役として組頭・百姓代が置かれ、これを村方3役と呼んでいた。組頭は農家5軒(5人組)をまとめ、百姓代は村民代表で庄屋・組頭の目付役として、年貢の割当などに立ち会う役目を持っていた。 また庄屋の補佐役には、その他に肝煎も置かれた。 庄屋には、郷ごとに大庄屋が置かれ...
北ノ山古窯跡は、西大鐘字「北ノ山」の元大庄屋伊藤弥左衛門の屋敷(伊藤裕氏宅)に接する裏山斜面にあって、古墳時代の後期に須恵器を焼いた古窯址とされる。 その昔、土採りをしていた百姓が発見したものといわれている。 窯は「あながま」といわれ「のぼりがま」のはしりである。表面は赤茶けていて、焼成されたと思われる固い土でできてい...
村役の野呂忠右衛門は度量の大きい人で、百姓たちが夫役や災害に苦しんだあげく逃げ出した田畑を、一手に引き受けて耕作していた。 世は慶応年間(1865~1868)の世直し一揆が盛んだった頃で、忠右衛門は相次ぐ災害と重税を理由に、年貢を納めると後はほしか(干した小魚を粉にした肥料)代も払えぬと、代官所に年貢の免除を願い出ると...
『日本書記』は、大物主神の帰順(国譲り神話)に際して、天目一箇神を「作金者ト為シ」と記している。 一目連神社は、天目一箇神を祭神とする。金属工業の神として事業の繁栄を、さらに、風や雨を支配することから農業・水産の神、雨乞いの神として民間の信仰は篤い。 西大鐘の一目連神社は、文政9年(1826)10月に、庄屋の門脇氏が洪...
この碑に刻まれた「延喜式内太神社」は、東大鐘(大鐘町)と西大鐘両村の村社として、大正5年(1916) 2月に石部神社に合祀されるまで東大鐘村字大坪に鎮座していた。 平安時代に編纂された「延喜式」の朝明郡24座の中に見える古社で、その祭神は神武天皇の御子で太朝臣の祖神・神八井耳命であった。 この神社のことを諏訪大明神とい...
花崗岩で板碑状に作られた高さ1.52m、幅約50㎝余、厚さ約24㎝のこの碑は、頂部が尖頭形で、正面中央に五輪塔が線刻してある。 五輪塔は宇宙万物を生成する五大を表す塔婆で、上から宝珠(空を表す)・円形(風を表す)・三角形(火を表す)、円形(水を表す)、方形(地を表す)から成っている。 そして方形(地輪)の中には、中央に...
四日市市下野地区について
下野地区は四日市市の北西部に位置し、北は東員町、桑名市に隣接しています。
下野地区は大きく分けてその北部にあるまち(北山町、西大鐘町、大鐘町、朝明町)と川の南部にあるまち(山城町、札場町)、その中に立地している住宅団地(あさけが丘団地、八千代団地)があります。
下野地区は大きく分けてその北部にあるまち(北山町、西大鐘町、大鐘町、朝明町)と川の南部にあるまち(山城町、札場町)、その中に立地している住宅団地(あさけが丘団地、八千代団地)があります。