太(おおの)神社旧蹟碑と太神社(大鐘町)

大鐘町字大坪の田地に大きい石碑があり、近寄ると東向に「延喜式内太神社舊蹟」と太く深く力強く刻み込まれている。

この場所は碑の裏側に「太神社ハ内務大臣ノ主旨ヲ基二大正五年(1916)一月二十七日三重縣知事ノ許可ヲ得テ同年二月二十五日石部神社エ合併ス」とあるように、かつて太神社が鎮座していた社地である。

太神社の祭神は綏靖天皇の兄で信濃国造、阿蘇君の祖、神八井耳命である。

創祀年代は詳らかではないが、延喜式(延喜5年(905)に編さんに着手された律令の施行細則)神名帳に記録されている古い由緒ある神社である。

しかしながら、宝永8年(1711)『朝明郡東大鐘村指出張』には、「氏神諏訪大明神」、明治5年(1872)の『伊勢国朝明郡東大鐘村明細帳』には「神社壱ケ所社内 東西五十弐間 東大鐘村・南北弐十九間 西大鐘村 立会 諏訪大神・八幡大神 御合殿 但、八月晦日祭礼 同社敷地壱ケ所 東西十六間・南北十五間」と記されて、神社は諏訪大明神と称していた。

このことについては、明治時代の国学者御巫清直は、「太神社ハ東大鐘西大鐘二村ノ産神、諏訪大明神卜唱
フルハ太朝臣ノ氏祖ヲ奉祀スル社ナルコトヲ判決スへシ、社地古色アリ千歳ノ舊祠タルコト炳然タリ」と論じている。

太氏は、神武天皇の第2子「神八井耳命」を氏祖とし、金属精錬、雅楽の伝承氏族であった。かつての社が広大でかつ幽邃であったことがうかがえる。

太神社は、大正2年(1913) 2月、東大鐘村(大鐘町)の山神社並びに西大鐘村の一目連神社及び山神社を合祀し、大正5年(1916) 2月には、石部神社に合祀され、のち境内地は農地になった。

昭和22年(1947) 5月1日、大鐘町住民の総意により、石部神社からの分祀を決め、篤志家から寄付のあった字北野山の現在地に社殿を建て勧請した。

現在、大鐘町民により月次祭をはじめ年中行事が大切に守られている。

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