創立年代はあきらかでない。現在の祭神は、天照大御神、天兒屋根命、応神天皇、保食神、素戔鳴命、大、天目一箇命である。
古来、中里(朝明町)・北山・山城3村の産土神として奉祀され、春日明神と称されていた由来から、もとは天照大御神と天兒屋根命が祀られ、それに境内社の八幡社、稲荷社を合祀(年代不詳)して応神天皇と保食神が祭神に加えられた。
明治45年(1912)に札場新田(札場町)の神明社、山城村の櫻神社を合祀し、さらに大正5年(1916) 1月に東大鐘村(大鐘町)太神社を合祀したことによって祭神が増加した。
なお、昭和22年(1947) 5月、太神社は分祀され大鐘町に社殿を建てて移り、また、昭和27年(1952)櫻
神社は旧社地に分祀されて移された。
本殿は、高欄の形式や庇の木階の設置の仕方が、神明造の直系である。
しかし、上下に長押を打ち、脇障子を構え妻組を虹梁大瓶束とする点、また屋根は向拝先を二軒繁垂木(背面一軒)として、なだらかな曲線をなし、向拝を設けて流造としている点は、神明造と一般の流造の形式が同化し、屋根を桟瓦葺として獅子口を飾る点は多少不自然ではある。
本殿の中に元禄10年(1697)、寛政2年(1790)同6年(1794)、天保4年(1833)、文久
3年(1863)の棟札が納められている。
旧拝殿は、明治末期より大正の初めの1村1社運動により旧下野村の神社を合祀した際、東大鐘の太神社拝殿を、また、楽殿は山城の櫻神社の拝殿をそれぞれ移築したものである。
年月の経過とともに傷みがはげしくなり、平成4年(1992) 3月に新しく拝殿が改築された。