北山遺跡(北山町・西大鐘町)

北山町の北の台地を走る県道員弁四日市線を挟んで北山A・B遺跡がある。経塚公園の東北部に位置する北山C遺跡は、昭和36年(1961)に三重県教育委員会が実施した埋蔵文化財包蔵地分布調査によって確認されてのち、昭和50年(1975) 3月に第1次、昭和62年(1987)12月には遺跡の南部について第2次の試掘調査が行われた。

その結果、北山C遺跡は、遺構として掘立柱建物5棟、竪穴住居3棟などのほか、土坑・溝が検出された

また、出土遺物は6世紀前半から7世紀後半にかけての土師器・須恵器などの生活用具のほかに、製鉄関連の遺物として鉄滓4点が出土し、弥生時代後期と古墳時代後期の2時期にわたって集落が営まれ、古墳時代には5カ所に分かれた建物群が存し、集落のなかでは製鉄が行われていたことが明らかになった。

この地域についていえば、窯業生産においては西大鐘町に北ノ山古窯跡が残り、鉄生産もこの北山C遺跡をはじめ、西山・新野遺跡を残すこの台地上で行われていたことは、近くに所在していたであろう古代豪族のための、手工業の専業集団の人たちが生活していた場所ではないかと推測されている。

新名神自動車道建設に伴う平成23年(2011)度から4年間の発掘調査で、北山A遺跡では、調査面積13,700㎡の範囲で飛鳥・奈良時代の竪穴住居45棟や掘立柱建物17棟が確認され、集落があったことが分かった。

竪穴住居の周辺からは、大型土坑(大きな穴)が20個以上発見され、直径3mを超えるものも珍しくなかった。

穴の中からは、当時の人々が使った土器や砥石などがたくさん見つかった。大きな穴は倉庫や作業場に使
われていたのではと思われる。

西大鐘町、桑名市志知にまたがる北山C遺跡では、平成24年(2012)度から6年間の発掘調査で、古墳時代中頃の古墳が初めて発見され、北山町から西大鐘町にわたる約27万㎡の広大な遺跡であることが分かった。

円墳9基や方墳46基、盛り土を持たない木棺墓など19基が見つかり、台地の上は墓ばかりであったことが分かった。

また、墓には、刀や斧、鎌などの鉄製品、勾玉や砥石などの石製品が供えられており、須恵器や土師器も見つかった。
北山A遺跡

北山C遺跡

※写真は三重県埋蔵文化財センター提供

 

 

おすすめの記事