北山城址(北山町)

北山城は、現地で土塁や堀、井戸が確認できるものの、古文書には名前がみられない城である。

北勢地方には小規模な城が数多くつくられており、北山城もそのひとつと考えられる。

新名神自動車道建設に伴う平成24年(2012)度から3年間の発掘調査で、城に関係する建物や柱穴などは見つからなかったものの、主郭を囲む土塁の一部が確認され、粗い砂と粘土を交互に積み重ねて土塁を造ったことや、主郭の端を造成して平坦面を広くしていることが分かった。

西から北側にかけては、谷が深く入り込んで防御性を高めている。東方は、平坦な台地が続き、一部に土塁状の遺構と堀が東西・南北方向に認められる。城址は、東が台地続きとなっているほかは自然崖となる。

北から小さな谷が入り込んだ台地上にも小さな土塁が残され、南からも浅い谷が北方向へ入り込んでおり、この二つの谷に区画された辺りまで城は広がっていたと推定される。

郭Ⅰは主郭で約50×50mの北辺がくびれた方形をなし、中央の低い土塁で東西に区画される。

井戸跡が残されていて、東側を空堀と土塁で囲め、西側は土塁と幅約3mの細長い段を介して郭Ⅱに連なる。

郭Ⅱは、郭Ⅰより約2m低く、約40×30mの台形状の平坦地で、居林古墳群を取り込んでいるほかは、土塁も築かれていない。南の自然崖は緩やかな傾斜で低地へ続く。

郭Ⅲへは、郭Ⅰの東土塁の中央部の虎口から斜めに折れて郭内に通じており、この虎口に対して南の土塁が鍵形に東へ突出しており、横矢を考慮した構造となっている。

南側と西側に堀をめぐらし、城としての形態をよく遺存している。

室町時代から戦国時代にかけての城址と伝えるが城主は不明である。

 

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