初代の下野村の村長に就任して以来37年の間、村長として村政のために尽くした下田亨三の彰徳碑は、生前(大正14年(1925))に村が経塚公園内に建てたものである。 下田亨三は嘉永2年(1849)、員弁郡長深村に生まれ、のちに北山村下田家の養子として家を継いだ。 明治22年(1889)市町村制が実施されたときに推されて村長...
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寺子屋は江戸時代における庶民の子弟の教育機関である。学科の主なものは、いろは文字・人名・国づくし・郡名所記などの習字や読書、珠算などであり、特に文政期以降(1818~ )、社会・経済の発展に伴なう教育的要求の高まりから、全国的に普及した。 文久3年(1863)に北山村の僧侶、藤井昇善は安乗寺の境内に寺子屋を開き、明治8...
北山町の経塚について、『勢陽五鈴遺響』は「今往々石経ヲ掘出ス古刹ノ址ナルヘシ其所伝未詳字模様古ニシテ今時ノ書体二非ス奇トスへシ(いま、時々石に書かれた経文を掘り出す。 古い寺の跡であろう。 寺について詳しいことは分からないが、石経の字体は古い形で、今どきの書体ではない。 不思議なことだ)」と記している。 経塚とは書写し...
西朝明中学校の辺りに「五の坪」と呼ばれる地名がある。 これは奈良時代に行われた地割の制度、条里制によって表示された土地の名残である。 条里制は土地の公有を原則とした古代の律令国家の土地制度の基本である、班田収授法にとって必要な前提であった。 その起源は5世紀ごろから大和朝廷の直轄の農業経営地である屯倉などで行われていた...
明治19年(1886)学校制度(小学から大学まで)の制定により、翌年、これまで字「小屋地」にあった学校をこの地に移転した。 新校舎の総面積は40坪(約130㎡)と狭く職員室と4教室とに仕切られていた。 開校当初は、下野小学簡易科授業所(在学年限3カ年)であったが、明治25年(1892)に小 学校令が改正され、下野尋常小...
鶯谷古墳群は、持光寺山古墳群と谷一つ隔てた東側台地縁辺に15基の古墳で構成されている。 発掘調査などは行われたことがなく、本古墳群は内部主体や副葬品など明らかなものはない。 15基の古墳のうち10号、11号、12号は、1号から9号までの分布地域と若干はなれており、12号墳は古墳群中もっとも西側の位置にある。 第5号墳が...
朝明川右岸の低平な台地の北端に6基の古墳が所在している。 6基の古墳のうち、1号から5号が円墳、6号が方墳である。 そのうち、第3号墳がもっとも大きく墳丘周縁に周濠をめぐらしているなど、ほかの古墳との差が著しい。第6号墳は墳丘の東、北側が方墳の形状を示すが、南、西側は円墳状となっている。 発掘調査などは行われたことがな...
八坂神社は、朝明町の氏神として祀られ、その跡地は、同町の西端にある。 明治10年(1877)社寺明細帳によると「上里鎮座、八坂神社式外氏子六十四戸、祭神素戔鳴尊、神殿、正面三尺奥行三尺五寸、霞殿、正面二間奥行九尺、拜殿、正面三間奥行二間、祭日六月十五日、社地二反三畝二四歩」とある。 なお、明治10年7月の社寺什物目録に...
札場は、四日市から菰野・員弁への交通の要所であり、江戸時代には、禁制・法令などを一般人民に周知させるため、街頭高く高札を掲示した場所であった。 江戸時代、新たに開発された水田を新田といい、多くの新田は開発されると検地によって石高の検査を受請地となった。 比較的大規模なものは一村として独立して新田村とよばれ、小規模なもの...
「神明信仰」は、伊勢信仰ともいわれ、伊勢神宮の祭神、天照大御神の分霊を勧請して奉斎した。 神明社の原形は神宮の神領である御厨・御薗に設けられた斎館で、領内でお祓いをしたり伊勢暦を配布して初穂料を受けて回る御師が逗留する宿ともなった。 室町時代から江戸時代に成立した村々では神明社を氏神とし、あるいは氏神の延長とみなした例...
西の山古墳は、約1400年前の古墳時代に造られたものである。 この古墳は、あさけが丘団地の東南の位置にあり、径15m、高さ1.5mの円墳で、墳麓には幅約3m、深さ0.5mの周溝状のくぼみが見られ、墳頂の北寄りには、径2mの既掘坑が見られた。 昭和59年(1984)に宅地開発に先だち発掘調査が行われた。しかし、墳の中央部...
今から2200年ほど以前に大陸から稲作技術が入ってきて、水田が開かれるようになった。 この頃を弥生時代といい、農耕文化の生活が始まった。 東山遺跡は、三岐鉄道山城駅の東南の丘で、山城町字東山にある。昭和19年(1944)頃ここに家を建てた人が一つの「つぼ」を掘り出した。 これが弥生時代の土器であったので、このあたりに約...
四日市市下野地区について
下野地区は四日市市の北西部に位置し、北は東員町、桑名市に隣接しています。
下野地区は大きく分けてその北部にあるまち(北山町、西大鐘町、大鐘町、朝明町)と川の南部にあるまち(山城町、札場町)、その中に立地している住宅団地(あさけが丘団地、八千代団地)があります。
下野地区は大きく分けてその北部にあるまち(北山町、西大鐘町、大鐘町、朝明町)と川の南部にあるまち(山城町、札場町)、その中に立地している住宅団地(あさけが丘団地、八千代団地)があります。